おまえなんか、訳してやる!

どんどん一言で 訳していくサイトです。 今567語くらい。

おいちゃんを拡大化した社会の中で

村と都市の男の扱いの落差をヒントに、私自身の仕事が実質的かどうかを考えました。仕事がないはずのパプアニューギニアの村落に失業者がいない理由、それは男性が見せかけを含めた労働をして、がっちり扶養されているからでした。

一方、経済社会の男達は、「狩猟・採集」の発展と言える第一次産業を除いても、多くの実質的な仕事をしています。例えば家庭内の仕事をうまく経済に組み込んで、「外の仕事」に置き換えているわけです。掃除機の販売をしたり、広告をしたり、広告を見せるための娯楽を提供したりして、実質的な「家の掃除」をお手伝いしています。生活のなんの役に立っているかを追えば、掃除でしょう。

では無駄な仕事はしていないのでしょうか。いや、ビルビル村のおいちゃんの「やることない」を、社会全体に当てはめれば「不況」になります。仕事をしないと共同体の中で存在価値が落ちてしまうのは変わりません。だから見せかけの労働も、できる限りやっていきます。

  • 実質的に仕事がないとき
    • すでに生産力が高い。供給過多。
    • すでに満足度が高い。需要不足。
    • 外敵がいない。
    • 子供や老人や病人など、手助けを必要とする人がいない。
  • 実質的に仕事がなくても仕事を作る例
    • 生産力を下げる。人の邪魔をする。休ませる。
    • 高望みをさせる。人に自分は貧乏だと思わせる。
    • 外敵を作る。内扮する。
    • 子供を増やす。人を老人扱い。もっと病気扱い。

やってるやってる、そんな仕事(一部)。こういう仕事って嫌悪していたのですが、「本質的に仕事がないからこんなこともする」と自覚すると、これからは少し開き直れそう。全国規模、世界規模で行われている産業も見え隠れしてきますが、無駄ゲンカの発展型で「実質的な仕事がない」がための産業、仕事はたしかにあると思います。

平和飽食の世を生きる男の生き方、見えてきました。



 つづく