ひとつの仕事
パプアニューギニアで考えたこと。私はお金をもらっている、自分の一番得意な仕事、「ひとつの仕事」ですべてをカバーしようとしすぎていました。
「ひとつの仕事」はお金をもらえるから、そのお金でやりたくない仕事は他の人にやってもらう(外食するとか)ほうが効率的だと思っていた。そしてそれ以外の生活の、経済の外にある、誰にも評価されない雑務を「仕事」として考えてこなかった。
実際そういう部分もあるけれど、経済が私自身の代わりをすべて果たせるわけじゃない。精神的にも「ひとつの仕事」に依存しすぎて危うくなっています。
それは細分化された経済の役割としての仕事に自分をギュウギュウはめこんで、後はチャラにしようとすることだから偏ってるし歪みも出る。部屋をきれいにしたり、トイレットペーパーを取り替えたりするのも、「ひとつの仕事」と同じように私が生きていく上でやるべき仕事だったんだ、「ひとつの仕事」はそれらを経済に組み込めるように変化させたもので、私がその仕事に失敗したり意義を見出せない時に自分が無価値に思えるのは、きっと「それ以外の仕事」をさぼってきているからだ、とはじめて思い至りました。
物資の獲得(狩猟採集)・実質的な仕事や家事、遊び、見かけ上の仕事、休憩。平和で豊かな時代では、どれもみな重要なことだったのです。