おまえなんか、訳してやる!

どんどん一言で 訳していくサイトです。 今567語くらい。

キーワードの話・中立的なキーワード観の模索

ユーザーによってキーワード観にズレがあるという話の続きです。(※これは直接的に「自動リンクシステム的側面」と「辞書・百科事典的側面」で使う人が対立するという話ではありません。はてなキーワードを「ツール」のように捉える人と「リソース」のように捉える人は、キーワード観にズレがあって、いろいろな場面で違ってくるという話です。)

キーワードはツール(道具、ウェア)であり、リソース(資源、資料)でもある。「辞書・百科事典的側面」を持っている段階で、キーワードにリソース性があるのは間違いない。

「リソース」のように捉える人は、はてなキーワードの無目的性が保証されていることをより好む。ツールと違ってリソースは、目的がなくても良いものだ。例え話だが“有益性の低いウェブページは削除する”プロバイダーがあったとして、そのプロバイダーの提供するウェブスペース上のサイトはどれも有益で面白いかもしれないが、そういう所に参加したくはないという気分になる。これがリソースの無目的性が保証されたい気分だ。ジャンクDNAを取り除く必要はないし、料理に使えないキノコを絶滅させる必要はない。

「ツール」のように捉える人は、キーワードが合目的に、より洗練された道具に進化することを好む。「リソース」といってもツール内に格納されたデータなのだから、辞書性・百科事典性もツールとしての機能の一部、つまるところ結局キーワードシステムは一個の「ツール」だ、という感覚なのではないか。

どちらも間違っていない。言葉とは「文章という成果物」の「材料」なのか。思考の記述やコミュニケーションを主目的とした「言語という道具」を構成する「パーツ」なのか。もちろんその両方であり、こうした情報伝達のなかだちをするものを、「メディア(媒体)」というのだろう。

だからキーワード議論の中で偏りのない視点に立とうとすれば、1個1個のキーワードは、あるメディアの中の「ひとつのプログラム(番組、演目)」という見方が適当じゃないかと思う。

みなさん、どういうふうに番組を作っていったらいいと思いますかというのが、今回のキーワードルール改定案募集なのだ。放送倫理・番組向上機構みたいなもんかもしれない。

(ここまでって、ひょっとしてまだ私のキーワード観を説明しただけですね……)

  • キーワードはメディア
    • 個々のキーワードはプログラム(番組、演目)